2018年01月17日
ハスは不浄である泥の中から茎をのばし、清浄な花を咲かせます。その姿は極楽浄土に咲くに相応しい存在と尊ばれ、善と悪、清浄と不浄が混在する人間社会の中に、悟りの道を求める菩薩道にもたとえられました。
そんなハスの茎であるレンコン(蓮根)を切った事がありますか?
ほとんどの方は当然でしょ!!とおっしゃると思いますが、恥ずかしながら私は先日、人生で初めて包丁で切りました。
そうしたら、こんな糸をひいていたんです
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東洋医学における鍼の手さばきについて「蓮の糸にて千貫の石を引くが如き」と書いてあるのですが、1000貫=3750kgの石が糸で引けるわけないですから、切れないよう慎重な面持ちで鍼を動かすんだなと認識していました。
しかし、実際にこの糸を見て、自分の鍼をする時の感覚と照らし合わせてみると、なんとも言い得て妙だなと感心させられたわけです。
普通の糸のように丈夫なわけでもなく、ゴムのようにただ伸びるわけでもなく、かと言ってすぐ切れてしまう程やわというわけでもなく、慎重に慎重に鍼を進めていく感覚とマッチしてて絶妙な言い回しだったのです。
古典を文字として読んでいると分かっているつもりで通り過ぎているものが、経験して改めて見返してみると自分の血となり肉となるのかもしれません。
生産性だけを求める最近の社会での年配者は、生産性の低いものと軽視されてしまいますが、鍼灸だけでなく古典を重んじる世界では、人生経験を重ねた年配者が一目置かれるのは、このような面が大きいのかもしれません。
他にも「さながら薄き氷を渡るが如き」とか「眠れる虎の尾を握るが如く」などとあって、もしかしたら、若手バラエティータレントの如く挑戦してみたら、もう一段上の領域に進めるのかもしれませんね(笑)